月に向って

もう少し仕事するか、と思ったのでとりあえず夕飯を食べに吉野家に出かけた。ひと月に一度くらい利用するのだが、好き嫌いを言えば一ヶ月に一度利用するくらいは好きだ。少なくとも、牛丼チェーンの中では「牛丼」に関して言えば一番良く出来ているのではないかと思う。

久しぶりに行ったら、豚汁と生野菜のセットというのが目に入ってきて、ついそれを頼んだ。週末に健康診断をする予定があるので、つい野菜に目が行く。生野菜を数十グラムとったところで、何かが改善するわけではないような気がするので、これもまた泥縄の一種ということだろう。

普段は並・卵・味噌汁でちょうど500円という記憶だったので、今日の670円はかなり奮発している感じだ。そして、奮発して食べていると、ふと財布の中身が全然ないのではないかということを思い出した。
財布を開けると570円しかない。さて、困った。

あわてて、店員さんにメールを出して「頼むから金を貸してくれないか」と伝えた。すぐに「わかった」と返事が来たのだが、食べていても気が気ではない。牛丼や豚汁が減っていくのが恐怖となって襲ってきて、味も良く分からない。思わずお茶を頼んだ。

しばらくしたら彼がやってきて、1万円貸してくれた。おかげで、ホッと胸をなでおろして食事を終えた。ありがたい。しかし、彼にとってはようやく仕事が終わったというのに、なんという災難だろうか。申し訳なく思う。
「もう、大人なのにな」って、満ちたお腹を抑えながら月の方角に謝る。

中央市会だより 1月11日版

中央市会だより 1月11日版
私は、大田区という「地の果て」から千代田区にやって来るのですが、今日はなぜか京浜東北線が空いていました。あれ、おかしいな? と、思っていたら華やかな和服姿の若い子が目に入ってきました。「新年早々、うかれてるんじゃねぇ!」と心の中で思ったわけです。電車が東京駅に差し掛かろうとした時に、ふと「あれ今日はそういえば祭日か」とようやく気が付きました。
本日は堂々と成人式。新年早々のバカはお前だ、とハッキリして。あら、そうなんですか。そうですよね、良く見るととても御きれいです。
人間だろうが花であろうが「盛り」というものは確かにあって、荒んだ気持ではなくそれを楽しむつもりで目の端に捉えてあげれば良かったと反省しました。
全国で新成人たちが日々面目新たと神妙な面持ちなわけですが、祭日にも関わらず私たち中央市会も神妙な面持ちで開催いたします。成人式とは違い、一生に一度というものではございませんが、今年の初市でございます。「今日ぐらいはいいや」、ではなくて、「今日くらいは行こうか」と思っていただければ。

 

 

タイミング的に、出品量が少ないのでは、という心配があったのですが、実際のところはまずまずという感じで落ち着いてくれました。

とある本屋さんの閉店の荷物があって、古いものや少し変わったものがあって、小当たりです。閉店は、もちろん一抹の寂しさがるのですが、本に関していえば案外そういう印象は持たず、棚や木箱といった什器類を見ると「あっ……」と思います。お疲れさまでした。

古本屋はじめました

月曜日から金曜日まで、毎日神保町で業者向けの市場をやっていると書きました。ただ、組合の市場は神保町だけで開催されているわけではありません。私が所属する「南部支部」は自前の会館を持っていて、そこでも月に一回第二土曜日に入札市が開かれています。

ちょうど昨日がその日だったので、入札会に出かけてきました。来る日も来る日も、買いもせんのに市場市場で、お客の相手もろくにしないで、うろつき回って一体いつ仕事をしているのか、という感じではありますが、まぁ世の中にはそういう古本屋もいるということです。

南部支部の入札会は、盛大に手伝いがいることが特徴で、開札やら後片付けやらに参加している人が、20人も30人もいます。そして、終わった後でそこにいる人たちでちょっとした宴を持つというのが恒例で、ちょとした食べものと、ちょっとしたアルコールが供されます。

私も手伝いに参加させてもらったので、遠慮なくいただきました。飲めば大層楽しくなって、自分が仕事をしに来ているのか、酒を飲みに来ているのか分からなくなります。帰る頃には、買った荷物のことなどすっかり忘れて、ぐっすりと眠りました。

今日確認したところ、市場ではいくつか品物を買うことができたようです。目立つのは、展覧会カタログ25冊で35990円というやつでしょうか。たけーなと、自分でも思うのですが、なんだかキラキラしていて、ショーウィンドーにあるトランペットのような素敵なヤツだったんです。

今日も散歩

今日もニ十分、と思って神保町の会館に出かけました。会館では、平日は市場が開催されているのですが、月曜日から金曜日まで。それぞれ主催が異なっています。だから、昨日と今日とは違う市場ということになります。まぁ、お客さんは大体同じなのですが。

スタートからザーッとまとまった一口があって(「一口」とは「持ち主が同じ商品」くらいの感じでとってもらえれば)、これが明らかに良くて人気になりそうだな感じ。まぁ、私なんぞが買える品物ではないので、眼福眼福、新年あけましておめでとうございます! と声をかけて横を通過しました。

最後のところに、「○○氏資料一括」という品物があって、「あぁこの人の蔵書だったのかー」とキレイに締めくくられていました(名前は忘れました)。立派なものだと思うのですが、放出されてしまえば一瞬で、一巻で、終りだなぁという感慨。バラバラになって、また本の森に還るのです。

とっとと事務所に帰ってしまったので、その一口の行き先は確認出来なかったし、興味もなし。そして、今日の私と言えばいくつか品物に入札したのですが、ほぼ全滅。唯一、趣味で入れた版画が一枚買えたようですが、私の本屋はいつ始まるのだろうかと、少し笑いました。

初市は八房の得

泥縄結いの仕事もひと段落つき、無事縄も納品して少し穏やかな気分の木曜日。神田神保町の市場も始まっているので、入札に出かけることにしました。
事務所から会館までは、徒歩でジャスト10分。往復すると、散歩にちょうど良い時間です。まぁ、普段は月曜日以外はあまり行かないのですが。

木曜日の市会の初市でしたから、明けましておめでとうやらの新年の挨拶がそこかしこで聞かれます。ただ、私は友達が少ないので、ほとんどただ黙って見て回るだけです。それでも少し華やいだ感じの雰囲気や、入り口におかれているミカンを見ると、なんとなくご相伴預かった気分。

ニ十分もすれば見終って、すぐに帰途につきました。帰り際にミカンを一個失敬したのですが、結構甘くておいしかったです。
ボールペンも持たずにうろうろしていたので、一つも入札せずにおしまい。市場に行くと損ばかりしている気がしますが、今日はみかん一個分得しました。

まぁ、何も買わず、出かけて行った分だけ損してるじゃないかという考え方もあるんでしょうが、私の一時間とミカン一個ならば若干ミカンの方が上かなと。一年かけて育ったにもかかわらず、私なんぞに食べられてしまうとは。蜜柑なんたる不覚。皮を剥かれて、ペロリ一口。

時間がない 時間もない

締め切りに追われているという話を昨日したのだが、仕事自体は今終わったところだ。肩の荷が下りた。セーフかアウトかという話で行けば、ギリギリアウトというところだろうか。アウトにギリギリも何も無いのだが。

「アウトは少しでも少ない方がいいですよね?」と尋ねられれば、大方の人は納得いかない顔つきではあるが、頷いてくれることと思う。まぁ、これは「アウトになってしまってことは仕方がない」と先に織り込んでしまう誘導尋問だから、確かに汚い手口だ。

ただ、そう分かっていながら、その手を使い続けなければならない悲しさというものもある。例えば、「実力不足」を「かける時間」で補う人であれば、こういうことも頻繁に起きることとなる。
なるほど、他ならぬ自分のことで、もう既に次の締め切りの足音が背中の方から聞こえている。

「時間がない」というのは言い訳にならないということは、重々承知しているつもりなのだが。一日が二十四時間しかないことに不満を言って、それが四十時間になったとしても、私はやはり「まだ足りぬ」と文句を言うだろう。幾ら増えても足りないのだから、いっそ減らそうかとも思って、最近は思う存分眠ることにしている。

締め切りの真上

古本屋には、「即売会」と「目録」という文化があって、たった今もそれに追われて目を白黒させている。その二つに関しては、おいおい説明する機会があるかもしれない。お、内向き。
まぁ、課題の提出期限が迫っていると思っていただければ。

その提出期限がいつかといえば、今日だ。後、一時間八分残っている。まぁ、間に合うかと尋ねられれば間に合わない。問題ないのかと聞かれればもちろん大いにあるのだが、背に腹は代えられぬ。出来んもんは出来ん、と見栄を切るが心中は大いに焦って本を取り出したり崩したりしている。

私は、大体年に16回締め切りがあって、その全てについてこういう泥縄を繰り返してる。イタチごっことも言う。イタチごっこのイタチは、追っているのか追われているのか知らないが、私は必ず追われる方で、月に一回以上のペースだ。その内、前にいる自分に追いつくだろう。もちろん冗談だ。

遅刻はしても、結局出来ないということはないというのは、全ての古本屋がそうで、それが「最低限守るべきところだ」となんとなく皆が思っているからだろう。まだ目録の白紙の頁は見たことがない。まぁその程度の苦労ということで、古本屋ならば誰でも何とかなる仕事ということだ。

こういう、どこか文化祭の準備めいたことを見ると、「なんとなく楽しそうだな」と思う向きもあるかもしれない。ただ、それはとんでもない勘違いで、その文化祭が毎月ならどうだ。時には隔週だとすればどうだ。出し物は毎回変えなければならないんだぞ、となぜか恫喝してこの文を終える。