マイクロブログについて

A)

古い友人に、久しぶりにあった。楽しかったので、大生を2杯頼んだ。

見れば、全然変わっていないような気がする。小学校のころの姿。表情、話し方、振る舞い。あぁ、君は君だね、相変わらず。

近況、思い出話、仕事の話と、少し個人的な話。かなり遠くて、少しだけ近い話はいつも楽しい。もっともっと話してくれと、せがみたくなる。

よく見れば、大分変わっただろうか。控えめに言って、少し太った。背も大分大きくなった。話していることも俗っぽくなった。そうだね、相変わらずだぁ。

 

 

B)

古い友人から連絡があって、「会えるか」と言われたので「会える」と答えた。一瞬、「カネだろうか」とも思ったのだが、その時は1万円あげて別れようと思って財布にお金を入れた。隣の駅の焼き鳥屋で、久しぶりにあった。楽しかったので、大生を2杯頼んだ。

電話の声ではもちろん気がつかないのだけれど、直接会うと全然変わっていないような気がする。小学校のころの姿。表情、話し方、振る舞い。あぁ、君は君だね、相変わらず。「小中学校時代の同級生」に会うと、たちまち当時の自分に戻って行くのは一体どうしてなのだろうか。

近況、思い出話、仕事の話と、少し個人的な話。かなり遠くて、少しだけ近い話はいつも楽しい。もっともっと話してくれと、せがみたくなる。私は昔のことを全然覚えていないのだけれど、彼は良く覚えていて、まるで昨日のことにように聞いた。楽しかった、というより楽しい。

そんな彼をもう一度見れば、大分変わっただろうか。控えめに言って、少し太った。背も大分大きくなった。話していることも俗っぽくなった。そうだね、相変わらずだ。話し方も、仕草も、考え方や性格も、自分の頭の中にあった場所におさまっていく。だから自分も、当時の自分に帰るのかしらん。

記憶もないのに、「当時の自分に戻った気になる」のはおかしいのだが、まぁいいか。彼は最後まで彼らしく、握手を求めてきた。私は笑ったがその笑いの意味を彼は分からないような気がする。そして、大生2杯と言ったが本当は最後に中生を1杯頼んだ。

 

二日に分けて、二つのテキストを掲載してみた。

もちろん、考えることがあってのことなのだけれど、これがなかなか難しい。

 

二つのテキストの違いは、単純に長さなのだけれど、Bが最近製作を続けている方式のもの。Aが、あえて短めに調整したものだ。これから、ある種のテキストをweb上で書き続けて行く上で、どちらの方を採用するべきなのか、考える上で実験してみたわけだ。

 

私はweb上にものをアップロードする際には、最近はtwitterをベースにものを書いている。twitterの「つぶやき」は140文字が上限。私はそれを一つのパラグラフとして、文章を製作する(ことが多い)。起承転結を意識して、4つのパラグラフで一つのテキストを構成することを目安にしているのだが、この方式を続けていく内に、followしてくれている方から「長い」と指摘される事例が蓄積されてきた。感じたことをわざわざ知らせてくれる人は少数派だろうから、実際は眼を通してくださる多くの人がそう感じているのだろうと思う。

 

twitter4つの「つぶやき」でテキストを構成すると、最大で560字。「5つのつぶやき」でも、700字で原稿用紙に直すと2枚弱という計算になる。そこだけ考えると、「長い」というのはありえないような気がする話なのだが、実際には私自身も「長いんじゃないかなー」という思いがある。「長い」というより、「重い」という感覚だろうか。twitterfacebookといったマイクロブログにおけるテキストは、主にスマートフォン上で閲覧されることが多く、そういった場合は文字が小さかったり、画面が小さかったりという理由で、文章を読むのが億劫になりがちだ。(特に横書きで長い一行は、本当に読みにくいと思う)

twitter上では、タイムラインは投稿時間順に掲載されるため、複数のパラグラフで文章を構成すると、一度スクロールして、下から順に上に向かって読んでいかなければならないという、事態にもなる。これは、twitterという仕組みが私のテキストにとって「向いていない構造」になっているということだ。

 

そういったことを踏まえて、やり方を点検することをしたくなったわけだ。

これは単純に言えば「短い」と「長い」の葛藤であり、もう少し遠くまで考えると、「私がマイクロブログと付き合うための折り合いをどこにつけるのか」という問いかけでもある。仕事でもなんでもなく、ただ自分が好きでやっていることなのだから勝手にするべきなのだが、せっかくやるのであれば真面目に一度考えておくのが流儀なので、仕方がない。

 

 

まず最初に述べておくと、テキストを製作する際にかかる時間やエネルギーは、長かろうが短かろうが、ほとんど変わらない。Bの方が文字数は多いのだけれど、テキストを製作する際には、その柱になる部分をどうするかを考えることに労力はほとんど全て使われていて、後の枝葉末節はほとんど技術で書かれているために、「おまけ」みたいなものだ。

上のテキストを例にとってみれば、Aをまず書くのに30分くらいかかっている。まず小学校時代の同級生に会ったというネタがあって、「変わる」「変わらない」を並列に書く展開が決まれば、後は起承転結っぽく4つに分けて後は内容を埋めていく。(なぜ4つなのかといえば、四コマ漫画を意識しているから。ただB5つのパラグラフになっている。起の部分が長くなって二つに割れている)

Aが出来あがれば、これをBの姿にするのは5分くらいで出来る。財布にお金を入れたり等、適当なエピソードを埋め込むのは慣れてしまえば大した労力ではない(もちろん嘘も書く。適当に書く)。

 

短いテキストというのは、つなぎを使わない蕎麦みたいなもので、意図が伝わらないとすぐバラバラになってしまう困難があり、書く方としてはそれは恐怖なのだ。だとすれば、色々と盛り込んでいった方が、読んでくれる人に対しても複数のフックを作ることが出来るし、そこに引っかかってもらえる可能性が高くなることになるし、読んでいる人がはぐれてしまわないように、そっと列に戻す手を伸ばすことができる。

あと申し訳ないが、私は蕎麦を打ったことがないので比喩が正しいかどうかは判らない。そしてもう一つ、短い文章の最大の難点は、こちらの意図がむき出しになりやすく、明確になってしまうことだ。ありていに言えば、私にとっては相手にこちらの意図を見て取られるのは「恥ずかしい」のだ。

だから、色々ネタを盛り込んでいった方が、そういったものの裏側に自分を隠すことが出来て安心だ。

しかし、そういった「盛り込む」作業は、「長い」という指摘の最大の原因なる。これを改善するためには、やはりテキストから無駄を「切る」より他無い。

 

 

では、「マイクロブログにおける適切な文章量」というのはどういうものなのだろうか。

例えばtwitterなら140文字という制約がまず存在する。この内側に全てが収まるならば何の問題も無いのだが、果たして140文字の中で文章が「展開する」ことが出来るのかどうか、私には分からない。

facebookならば、「もっと見る」が表示されるのは、7行目以降という仕様であっているだろうか。「もっと見る」が表示されない範囲が適切な分量という考え方は出来るかもしれない。

 

考え方としては、「画像かリンクを張って、一言添える」以外のものは全部長い、というものもあるかもしれない。私はその意見をもっともだと思うし、必ず頭の片隅に置いておこうと思っている。

 

短いテキストはそのまま張って、長くなったらブログに誘導という考え方も理屈にかなっている。ただ、私は自分のテキストを読ませるために、他のリンクに人を誘導するということをなるべくやりたくないのだが。

 

ブログにしろ、マイクロブログにしろ、なんにせよ露出趣味という部分から逃れることは出来ない。その臭味を消す方法はなんなのか。

 

そこまでして何か言わなきゃならんのか、というところまで含めて、明日からの課題としていく。