かたち

 

物には「かたち」というものがあって、それは時代にあわせて少しづつ変化していく。例えば、本は昔、和紙に印刷して、それを手と紐で束ねていた。今は、洋紙に印刷し、背中を糊で固めてある。本をめくって頁を読み進めるという形は変わらないが、「かたち」は変わった。

 

大工道具の鋸や鉋(かんな)も、時代とともに形を変えて、ある時今の形に決まった瞬間というのがあるのだと思う。それでも、鋸(のこぎり)を押して切る

/引いて切るといった歴史がその姿に残っていたりするのが面白い。機能が同じなら、使い方は問う必要がないという潔さ。


道具が少しづつ変わるのであれば、仕事の姿も少しづつ変わっていく。例えば古本屋の仕事の何割かはインターネットに移った。本がさらにその「かたち」を変えれば、自然仕事の姿もまた少しづつ変わるだろう。私はまだ「古本屋」だが、それがいつまで続けられるかは分からない。

 

その時私は、「何かもっと別のものを売る仕事」をするのだろうかと、考えないでもない。「手にとってくれる人がいる内は」と口にするのは格好良いが、格好ではお腹は膨れない。私は本を家族とする者で、彼らの寿命と健康がより長く続けと願う者だが、時はそれを許さない気がしている。