鍋物と「料理」の間

朝、ドトールの席に腰かけながら、「あぁ昨日買った豚肉一皿、残ってるなー。豚汁でも作るかー。里芋使ってみるかー、あーでも下ごしらえがめんどくさそうだなー。でも鍋にすると、白菜残るからなー。白菜って、鍋しか使わないんだよなー。朝漬けとかしないし」と、ぼんやりしていた。

 

最近、週に一度くらい一人鍋をやる。朝昼を外食で済ます代わりに、夕食で野菜をたくさん食べようということから始めたのだが、まぁ失敗することがありえない簡便さと、費用対効果の高いおいしさで、かなり気に入っている。料理と呼ぶにはおこがましいけれど、一人なんでまぁいいでしょ。

 

そこで、土鍋を前にして思ったのだが、鍋のスープと具の関係性というのは、饅頭の皮と餡の関係性ではないか。お互いがお互い微妙に影響しながらも、やはり別々のものであるような気がする。シチューの具と、豚汁の具って、さほど差がないし。

 

私は今のところ「煮る」しかやらないので分からないのだが、料理というのはそういう「構造」を利用して行われているような気がしてならない。ということは、そういう構造を知れば知るほど、応用は豊かになっていくんだろう。すごくワクワクするが、すごくめんどくさい。