また、明日。

後悔はほとんど道連れで、幼いころから今にいたるまでずっとそばにいる。
ものごころついた頃から、これほど馴染み深い感情って無いんじゃないかと思うくらいの仲良しだ。振り返って、いや振り返らずとも。

 

「後悔」というものがどこから来たのかと考えると、煎じて詰めれば結局のところ、「なぜ、その一日一日を大事に出来なかったのか」ということに尽きる。力を尽くさなかった。尽くせなかった。理由や感情はさまざまだろうが、結局そういうところに落ち着く。

 

ただ最近の私は、そういう部分が随分と減ってきて、あんまり後悔というものをしなくなってきた。完璧主義の鼻が折れたのかと言えばそうでもなく、「できねーできねー」とイライラはしているのだが、それを一時中断して、次の日に再開できるようになった、とでも言おうかしら。

 

もちろん、「後悔」することがなくなったと言えば嘘になる。長年連れ添った連れ合いなのだから、一生そばにいるだろう。眠れないような日も、たまにはある。
そこで、何が変わったのかと言えば、「また明日」と言って家に帰ることができるようになった。ただそれだけ。また、明日ね。