「私」の仕事1

本を読むか、読まないか。で、悩んでいる。
当たり前だちゃんと読め、とか、そんなことで悩んでいる本屋はいない、とか、あら字読めたんだ、とかお前漢字読めないじゃんとか、いろいろひどいことを言われることは重々承知してのことなのだが。

「古本屋は本を読まない」ことは以前に書いた(もちろん読む人もいる)。
例にもれず、私も最近はとんとご無沙汰なのだが、まぁこれからというか、このままというか、どういう具合に仕事を続けていくのかを考えた時にこれは割りと重要な分岐点だと思ったわけだ。

本と言えば「読むもの」、というのが一般的な認識だと思うし、それであっている。ただ、古本屋の扱う「本」というのはそれだけではなく。
例えば、日本の古本屋で漱石の「明暗」の初版本は20万円だ。文庫で買えば300円くらいだろうか。700倍の差がそこにある。

20万円の「明暗」は読まれることを目的としていない。
もちろん読めるし、読む人もいるのかもしれないが、「ただ読む」ことを目的としているならば文庫でいいし、段組みだ当時の雰囲気だというならば、装幀まで一緒の復刻版が出ている。

それを乗り越えて20万円出して「明暗」を読む人というのは、まぁ珍しいというか、変わっているというか、そういう人だということだ。ただこの20万の漱石は、古本屋の仕事である。読むことが目的とされていない本、「モノとしての価値」が求められいる本を扱うというのも、古本屋の仕事だ。