絵を描く

昔、一枚の絵を買った。
パステルで描かれた、高速道路からの景色だ。ほとんど殴り書きのような筆致で、お世辞にも上手く描こうとしたとは言えない絵だった。
壁際に立てかけてあり、遠目で見て「まぁいいんじゃないの」と思って買った。

買った理由は、名前を見れば知った名前だったこともある。ただ、一般的に知られた名前ではないのでここには書かないが、まぁ立派な絵描きであろう人だ。確か2万円弱で買った。下札だったので、ライバルはいなかったのだと思う。買えば満足して、その日はなんとも思わなかった。

配達を頼んで家に到着した。そうすると、その絵がどうにもこうにも良く見えない。持って帰って改めて見ると、その時感じていたほどよろしくない、というのはよくある話なのだけれど、それどころではない。ほとんど、いたずら書きに見える。本当にただの殴り書き、心底殴り書きだ。

手に取ってまず、「あれ」と声が出た。思っていたのと違う。いや、明らかに同じ物なのだが、全然違うのだ。まさか、似た別物と入れ替わるということもありえない。そんなバカなと思ったが、どれだけ顔を近づけて丁寧に見ても、一向に良いところがない。これに2万近く払ったのかと、逆上した。

腹は立てたが、高い金額(私にとっては)を払った物である。捨てるわけにもいかず、とりあえず天袋に仕舞った。目を反らしたのである。そして、忘れたふりをしてしばらく放っておいた。
半年後くらいに、即売会があってそこである程度立派なものということで取り出すまで。

改めて絵を取り出してみても、一向に良く見えない。立派な人が描いた殴り書きである。ただ、必要があって3万円の値段を付けて並べた。「実物はともかく名前は役に立つだろう」という、ひどい話である。
絵なので壁にかけて、3万円の値札を隣りにぶら下げて完了。ふんと鼻を鳴らして離れた。

他の準備に気を取られて、しばらくたった。ふと自分のかけた絵に目を向けると驚愕した。さっきまでの殴り書きが「絵になっている」のである。あわてて近づいて見ると、ほとんどいたずら書きである。そこで、ようやく自分の誤りに気が付いた。

ふと絵に目を向けたのは、3メートルほど離れたところからであった。その距離ならば、この絵は「絵になっている」のである。近づけば、いたずら書きである。つまり、この絵は離れて見ると絵になるように描かれているということになる。「マジか」と思わず声が出た。

ただ、そうであるならば、市場で遠目から見て「まぁいいんじゃないの」と思った理由も分かる。私が偶然、「絵になる」ポイントにいたのだ。
絵を描いた本人は、パステルを手に持ち、色を入れる時には近くにいただろう。それを、「遠くから見れば絵になる」ようにわざと描いているわけだ。

プロの力とは恐れ入る。と心底思った。その絵は殴り書きだが、「プロの殴り書き」であった。
まぁ、「そのこと」に金銭的な価値があるかどうかは私には分からない。ただ、「そういうことがあるのだ」ということを教えてくれた絵のことを、私は忘れないだろうと思う。

まぁ、今日改めて見てもやはり殴り書きであった。それでも、「この距離から見ると絵になってるんだよな」と改めて思った。
名前が売れたのか、絵が売れたのか分からないが、今日注文が入ったので、もったいないけれどそのことを書いておくことにした。