続き

(続き)
會津八一記念博物館の二階は、一階とは打って変わってかなり広い展示場となっている。建物自体が「旧図書館」ということなので、書庫だったのだろうか。そこに背の低いガラスのショーケースが並べられ、その中にずらりと古いものが並べられている。

俑・古瓦・古鏡等、いわゆる東洋美術なのだけれど、これがすばらしい。
思わず「マジで?」と声が出てしまった。例えば、「明器(めいき)」という中国のお墓から出てくる副葬品があるのだけれど(古墳から出てくる埴輪みたいなものだと思いねぇ)、これがその当時の姿のまま愛くるしい。

動物もいるし、建物や井戸もある。もちろん人間もいる。目の前にして、「数千年の時を経て」などという感慨など全く湧かず、ただただ愛くるしい。とても素朴で、震えるほどに「正しい形」をしているように見える。
私には古玩に愛着する気はないのだけれど、これは欲しい。欲しすぎる。

その他、特集展示は「土器」。私が見た古い物の中で、それを見て何が楽しいのか一番良く分からないのが「土器」なのだが、これも見ていて「ああ、キレイだな」と思った。説明は見てもピンとこないのだけれど。
古瓦、拓本の辺りは古本屋でもなじみのものなので、「なるほど」。

部屋の奥に一体仏像が置かれている。それが日本のものではないことが一目で分かるのは、それが私たちの知っている「仏像」の概念からほど遠いものだからだろう。なんというか生々しくて、実際に見てもらいたいのだが、「そういうものがこの世にあるのだ」ということを知った気持ちになるようなものだった。

当然、一人で訪れたのだが、楽しくて興奮してぐるぐると歩き回り、一人ではしゃいで一人で疲れた。しかし、展覧会を見るという点では久しぶりに感じる充実感だった。物語を描いて、頭の中で分かった気になる展示も楽しいけれど、やはり「物」一つ一つと向かい合うのが展示を見る本筋なのだろう。

二階があまりにも良かったので、コルビジェのことは全部すっとんでしまった。これが無料というのだから呆れるし、地方の郷土資料館などが気の毒になる。私は會津八一の何がすごいのかが全く分からず、早稲田専門の有名人だとばかり思っていたのだが、もう本当に感服した次第だ。

その他にも、一階の別の部屋には誰にでも分かるような素晴らしい焼き物の展示があったり、そういえば荻原守衛の「女」が普通にゴロリと置いてあったりした。一階と二階をつなぐ階段の半ばには、観山と大観の大作があった(確か「明暗」と言った)。

ここがかつて図書館だった頃にこの作品が飾ってあったとすれば、毎度この絵を見上げながら、あるいは帰りには見下ろして日々を過ごしていた学生は、深くこの絵のことを心に留めただろうし、長く愛したことに間違いないようなものだった。

変に長くなったので、そろそろ止す。
建物から外に出た時に、長く続いた人間たちの営為を思った。大きな大学だから、ということでもないのだろうか、そういった営みはこういう場所だからこそろ長く残るのだろう。そして、もし可能であるならば私も、と思うのも無理はないことだろう。