「縦書き」と「横書き」

昨日、「教科書」について書いていてふと思い出したことがあった。
小学校で使う教科書というのは、そのほとんど全てが横書きで、唯一「国語」だけが縦書きであった記憶がある。金の星社の新書を読みながら小学生になった私は、その横書きにまず違和感を持ち、そしてすぐにそれを忘れた。

教科書が横書きであるのには、もちろん理由があるのだろうが私には思いつかない。アルファベットや、片仮名語を入れて自然なのは横書きなのだが、それが理由なのだろうか。まぁ、横書きの方が世界標準のように感じられたのかもしれないし、GHQからそういうお達しがあったのかもしれない。

ここに書く必要があるのかどうかは分からないが、今現在、日本は横書きの国だ。電車の広告から、スーパーでもらうレシートまで、基本的には横書きでものが書かれている。不信に思ったのなら、辺りを見回していただきたい。今眼にしているこの文章も横書きである。

その横の氾濫の中で、縦に書いてあるものが新聞・雑誌・小説である。古くから続く伝統を引き継いでいるから、「そうでなければ認められるものか」という向きも多そうだ。逆を言えば、今ではこれくらいしか縦書きの文化を守っている場所はないとも言える。

「縦書き」と「横書き」、どちらが優れているかという点については私は意見を持たない。これだけ溢れているのだから、横書きの方が時流にあっているのかもしれないし、それは単に「コンピューターの表示が横書きであるから」という理由なのかもしれないし、そうであってもそれも時流の一つだろう。

「眼は横に付いているのだから、横書きの方が読みやすい」と言われればもっともだと思うし、「人間は立って歩くのだから、縦に並んでいる方が相応しい(ふさわしい)」と言われればそんな気もしてくる。「適材適所で」と言われれば、「あぁこの人はどうでもいいんだな」と思う。

ただ、日本の社会の教科書の異常な読みづらさとつまらなさは、あれが横書きであることに原因が一部あるような気もする。勝手なことを言った。
そういえば、戦前の本にはほとんど横書きのものがない。記憶に無いことは無いので、あるにはあるのだろうが、まぁ「ほとんどない」と言って良いと思う。

それは、「そんなことは思いもつかなかった」というようなレベルのことで、まぁ印刷して文字を入れるとすれば普通は縦に文字を書いたのだろう。おそらく西洋を真似る時だけ、横にしたのだとぼんやりと思う。お触れに使われる高札だってし縦書きだし、手紙も葉書も縦に書くのが一般的だ。

戦前、縦の国だった日本が戦後、横の国になったと見るのはそれほど的外れでは無いような気がするのだがどうだろう。生活と習慣の中に文化はあるから、横にどっぷりと漬かりこんだ子供たちがいつまで縦書きに付き合ってくれるのだろうか。「国語の教科書」と「小説」は屈しないと思うのだが。

例えば、年賀状を横に書くのが先か、年賀状という風習が無くなるんが先か、ちょっと楽しみな競争ではある。