時間がない 時間もない

締め切りに追われているという話を昨日したのだが、仕事自体は今終わったところだ。肩の荷が下りた。セーフかアウトかという話で行けば、ギリギリアウトというところだろうか。アウトにギリギリも何も無いのだが。

「アウトは少しでも少ない方がいいですよね?」と尋ねられれば、大方の人は納得いかない顔つきではあるが、頷いてくれることと思う。まぁ、これは「アウトになってしまってことは仕方がない」と先に織り込んでしまう誘導尋問だから、確かに汚い手口だ。

ただ、そう分かっていながら、その手を使い続けなければならない悲しさというものもある。例えば、「実力不足」を「かける時間」で補う人であれば、こういうことも頻繁に起きることとなる。
なるほど、他ならぬ自分のことで、もう既に次の締め切りの足音が背中の方から聞こえている。

「時間がない」というのは言い訳にならないということは、重々承知しているつもりなのだが。一日が二十四時間しかないことに不満を言って、それが四十時間になったとしても、私はやはり「まだ足りぬ」と文句を言うだろう。幾ら増えても足りないのだから、いっそ減らそうかとも思って、最近は思う存分眠ることにしている。