ダメ子ちゃん、と、いらない子ちゃん

以前、「明後日の人」の話を書いた。
「次のこと」よりもっと先のことをやってしまう人の話で、そういう人は「今のこと」も「次やること」もできないのに、そういうことばかりやってしまうというのが主旨だった。

それとは別に、私には心の中で「ダメ子ちゃん」と呼んでいる人がいて、その人は家のそばのマイバスケットで働いている。レジにいると、全てのことが少しづつおかしくて、総合すると全体のパフォーマンス自体がかなり低下している感じだ。まぁ、一言でいえば、「とろい」ということになる。

そういえば、ダメ子ちゃんは、最近近くの郵便局に一人増えた。まぁそれはいいとして、ダメ子ちゃんの他に実はもう一つ、これは絶対にその人には言えないのだが、「いらない子ちゃん」というのがいる。これはダメ子ちゃんとはちょっと違って、とても厄介だ。

いらない子ちゃん」の特徴は、「できる子ちゃん」とはいかないまでも、普通水準のちょっと下くらいは働ける。ただ、「自分はできる子ちゃんとまではいかないまでも、それに類するくらいできている」と勘違いしている。認めてもらえることが少ないので、自己主張が激しい。うわー、いらねー。

私は正直に言うと、ダメ子ちゃんはちょっと好きなのだ。その人は、ダメな人なのだからしょうがないのだ。となれば、こちらが大人しくする、可能ならばその人がやりやすいように環境を整えてあげて、お互いが楽しくやっていこうね! と素直に思える。

飼い犬をしつけるためには、まず飼い主である自分がちゃんとしなくてはならない、という教えみたいなものか。いや、人をペットに例えるのはなんなんだが。そして、ダメ子ちゃんがある時ふと気がついて、「何かができるように」なったら、その時は手を取り合って喜びたくなる。

ただ、いらない子ちゃんはそうもいかなくて。いらない子ちゃんは、まずかわいげがないから相手をしたくない。それに、誰でもできることをやって、自分を偉そうに見せようとするのは無理筋なんだと、説明しようにも方法がない。話をしても脳みその中だけで生きているから、会話が成立しない。

そして、いらない子ちゃんは、持つものが少ないから執着が激しく、承認欲求が満たされていないから感情的になりやすく、バカだから増長しやすい。そんな人と関わりたくないから、周りから人はいなくなるので、結果「いらない子ちゃんスパイラル」と「見事なまでのいらない子」が完成する。

これが、大人の世界の話だというのが恐ろしいところだ。とりあえず簡単にこういう人を見分ける方法を書いておくと、
「自分はこっちのことはできていないかもしれないが、その分こっちの方で頑張っている」
という主張をする人は、100%いらない子ちゃんになる。

まぁ、長々と書いたが、結局自分ができる子じゃなくても、ダメな子ちゃんでも、いらない子ちゃんでもどうでもいいんだけれども。人生一度きりだし、好きに生きたらいいと思うんだ。ただ、これを書いていてどんどん悲しくなっていくのは、まるで自分のことを書いているような気になっているからだろう。