悩まない。いかがなものか。

最近悩まなくなった。
と、文章を置いた瞬間に「これ前に書いた気がするな」と思ったのだが、悩まないので続ける。
私はある日、「悩む」の内訳の内、95%くらいは前に進んでいるのではなく、同じところをぐるぐる回っているだけだということに気が付いた。

それ以来、悩むのはほとんど時間の無駄で、まずやってみて、失敗してから修正していくという実証的な立場に身を置くことにした。というより、人生の複雑さに耐えかねたのだと思う。手に負えなすぎて、出たとこ勝負を決め込んだのだ。

考えをため込んでいくのは無論良いことで、アイディアなり引出しの多さなりに直結しているし、こういったものに技術の裏打ちがあって、初めてなにごとかが出来るのだと思う。おまけに、アイディアは捨てれば捨てるほど良くなるという性質がある。もったいないが、仕方のない事実だ。

いくら悩まないとはいえ、「自分の総合的な実力が足りているか足りていないか」くらいは判断できないと困る。判断材料は自分だから、それが正確かどうかは別として、材料さえ揃っていれば結論は一定だ。
つまり、本当に大事なことは一瞬にして決まり、選択の余地などない。