「姉の結婚」 手を出す。

西炯子の「姉の結婚」を読んでいる。手元にあるのは、1巻と2巻だけね。
察しの良い方なら薄々とお気づきかもしれないが、先日ゴミ捨て場に落ちていた「式の前日」(穂積)と一緒に拾ったものである。私は完結していない作品は手に取らない派の人間なのだが、保護するとなれば仕方がない。

野良猫を保健所に連れて行くのと同じで、すぐに、ブックオフにでも持ち込むつもりだったのだが、つい魔が刺して手をつけてしまった。西炯子(の作品)は昔の知り合いだが、あれから随分と立っている。本当に、20年くらいだろうか。向こうも随分と有名になったようだし、私もおっさんになった。

最初のページをめくってみると、絵は確かに変わったようだ。大人びて、整って、化粧も覚えたという感じだろうか。ただ、読めば本人であることはすぐに分かった。作中の人物の言うことも、ふと立ち止まった時に起こるモノローグも、変わりなくその人のままのように思える。

読み進め、登場人物の感情が揺れるたびに、こちらの感情も咳く(しわぶく)。絵とセリフと向かい合う瞬間に、自分の内側の一部分が、ざざざと逆毛立つ。「時間のムダだから」という理由で、フィクションを読むなくなって随分立つ。ただこの感じは覚えている。「創作」というのは、この部分にあるんだ。

二巻まで読み終えて、そっと本を閉じた。このお話は、何十年も前に出会った二人が、再び出会ってしまう物語だ。まるで、そのまんまじゃないかと、つい書きたくなるけれど。
二巻は、真木という相手が二人の家を借りてしまうところで終わる。

このまま行けば、おそらく真木の奥さんが壊れて、主人公は巻き込まれて遠くに行って、それでもう一回出会うみたいな展開になるんだろうか。タイトルからすれば、二人は結婚するのだろうが、あえて「難しい方」に切り込んでいってズタズタになる芸風だから、さてどうなるのかね。

いや、私は完結していない話は読まない主義なのだ。
手元には二巻までしかないし、そもそも迷い込んできただけの本だ。
だがこれは、まずいな。