池内紀二冊、あるいは書くことと祈ること

最近、池内紀(おさむ)の人物評伝を二冊読んだ。一冊は「ことばの哲学」もう一冊は「二列目の人生 隠れた異才たち」というタイトルだ。
前者は一人の人間について、後者は16人の人間について書かれているが、共通しているのはこの作者が持つ対象となる人間との距離感だ。

「詮索癖が無い」と書くとおかしいのだろうか。評伝など書くくらいだから、そういった癖が無いわけが無いのだけれど。「必要以上に忖度(そんたく)しない」というのとも少し違う気がする。「分からないことを、思ったり考えたりしない」と書くと、少し近づいたような気がする。

とまぁ、そういうことを踏まえて、ようするに「距離感」なのだ。「その人」について一冊の本を書くにしては、一般的な印象から行くとかなり遠いような気がする。選手を遠くから一心に見つめながら、手を組んで祈っている乙女のようにも思える距離だ。

「私はその人の専門家ではないので」という、学者らしい遠慮もあるのだろう。こういう態度は、「食いが浅い」と取る向きもあると思うが、私にはとても気分が良い態度で、とても楽しく読書することが出来た。そしてなにより、池内紀の視線はとても優しい。本人がどういう人かは知らないけれど。

「二列目の人生~」における一篇一篇は大体十数頁。手紙にすれば、絵葉書ほどのサイズで、一篇読めば旅先からそれが一通届くような喜びがあって、これは良い連載だっただろうと思える。「ことばの哲学」は、年離れた先輩への花束というべき内容だろうか。久しぶりに本を読んで、良かったと思ったよ。