来年の、一年前

1月1日には、いつもこどもを見るのだけれど、当たり前のことながら、毎年一つづつ年を取っていく。
年齢的には、1歳、3歳、5歳という感じだろうか。去年の生まれたばかりで、手に手袋をはめて自動的に手足をバタバタさせていた子が、すっかり人間になっていた。

すごい良く歩いている。その子は、来年の今頃は言葉を話しているのかもしれない。
3歳、5歳のこどもたちの方と来たら、こちらはもうエネルギーの塊みたいなもので、そばに来るとこちらは「ちょっと引く」ような感じだ。平凡な比喩で申し訳ないが、つい台風を当てはめたくなる。

ある程度時間がたって、くたびれて来た頃に少し遊んでもらったのだが、それでもなんだかもう「あり余って」いて、なんだか気の毒なくらいだった。こんなものが二つも家の中にいたら、お母さんもお父さんももう大変なことだろう。こちらも陳腐だが、つい戦争と書きたくなってしまう。

親の苦労はこどもの苦労でもあるだろうから、仲が良かろうと悪かろうと、家の中では苦労に満ちているのだろうが、どこか動物園じみたそれは、とても素晴らしくて自然のことのように思える。なので、私の中ではとても良いものとしてそれはある。時間なんてたたなければいいのに。

電車に乗って、帰宅する。今日あったことは明日にはもう大体忘れていて、私は見慣れた日常に帰って行くのだけれど、このどこか楽しげな記憶は、頭の中の戸棚にしまっておく。また会おうね。