だめだこりゃ

「だめだこりゃ」いかりや長介新潮文庫 平成15年)

ドリフターズいかりや長介の自叙伝ということになるのだろうか。「だめだこりゃ」を読んで、その余りのおもしろさにほとんど驚愕した。
本は荒井注の葬儀における弔辞から始まり、子供時代→バンドマン時代→ドリフターズ時代→踊る大走査線時代と進んでいく。日本芸能史におけるドリフターズの大きさを考えれば、その景色だけでも一つの価値があるだろう。それについて色々書きたい気持ちもあるのだが、それはぐっと飲みこもう。やはり一番の衝撃はその文章の巧さだ。

かつて、ひょうきん族よりドリフびいきだった、という私の立場を差し引いても、大したものだと思う。事例なしでは理解しづらいだろうから、長いけれど一文を引く。昭和十九年、小学校の卒業を待って碇矢長一少年は静岡に疎開する。

『そして四五(昭和二十)年、東京下町の大半を焼き尽くした三月十日夜の大空襲を、私は富士の裾野から望見することになる。B-29は東京を空襲するとき、御前崎から入り、富士山を目標に進んで、少し手前で東に進路を変えて東京上空に至るという。だから東京に空襲がある時は、かならず富士の私たちの真上を飛ぶ。三月十日は常にも増して、物凄くやかましい音を立てて、大群が飛んで行った。私は、これは只事じゃないとおもって、表に飛び出した。しばらくは音も消え、あたりは真っ暗闇だったが、やがて東の空が明るく輝きはじめると、間もなく富士山の右側までオレンジ色に染まっていった。私は茫然と立ちつくした。このとき、美しくさえ見えたその光の下で、私たちの住んでいた東京下町はすっかり焼き払われてしまったのだ。』

まさしく達意。
これと同じ文体で、ドリフターズのことも、米軍相手のバンドマン時代の思い出も、クレイジーキャッツのことも、十六年続いた土曜日の生放送のことも、とつとつと書かれていく。良い表現が思いつかず申し訳ないが、とても素朴で、こちらはほとんど涙ぐみながら読んでいた。これは間違いなく文章の力だ、とか頭の片隅で考えながら。

こんなに面白い思い出話は、なかなか無い。そして語り口も抜群だ。
ドリフは遠くになりにけり、だがその記憶を持つ人はこの本を最大限に楽しむことが出来る。そして、ドリフターズを知らない人にとっては、知らないおじさんの昔話ということになるのだろう。わー、若いって、もの知らないってかわいそうだなぁと思った。こんなに面白いものが100円なのにな。