4月1日水曜日

普段は、世界は気にもとまらないほど広々していて、
電車の窓から見れば、それは山の向こう側にある空まで突き抜けていて、
その先には、信じられないような人たちが、信じられないような生活をしているのだと、
誰かが映像付きで知らせてくれる。

それは今も変わらないのだけれど、
実は世界には目には見えない覆いがあって、
それは案外そばにあって、ある日突然ミシミシと音を立て始めた。
その覆いを、何か巨大で暗いものが押しつぶそうとしているのかもしれないし、
中身を確かめようと揺さぶっているのかもしれない。
手の打ちようがない外側からなにかをされていて、内側ではミシミシと音だけが鳴っている。

私は今回のコロナウィルスの件をそういう風に捉えている。
こういう状況は、ある種の感じやすい人にとっては、とても生きづらいので、
膝を抱えてうずくまっているようになっている人たちを、私はとても気の毒だと思っているのだが、
申し訳なくも、私にはその苦痛を解決するどころか、軽減する方法も分からない。
私は私が好きな人たちが、傷んだり、苦しんだりしているのをただ見ていることしかできず、少しだけ悲しい。

かく言う私本人はどうかというと、そのミシミシと鳴る音は聞こえてはいるのだが、
それについては特になにも思うことはない。
コロナウィルスに満ちた世界も、ほんの数カ月前のまだその世界の覆いに気が付いていなかった頃の世界も、
結局は一続きのものだろうと感じている。特になにも変わっていない、と書くとおかしいのだが。
それが礼儀となったのでマスクをして、体力が大事だからお酒を控えて早く寝て、高蛋白質の食事を心がける。
「それが変わったということだよ」と言われればその通りなのだが、
それでも、私の世界は前からそんなようなものだったんだけどな、と口には出さずに思うのだ。

なので、特に変りもなく、私は毎日店を開けている。12時に開店して、20時に閉める。
別に休んでもいいんだけどなぁ、と思わなくもない。古本屋は、不要不急の商売だし、客足も大分遠ざかってるし。
ただまぁ、これも変な言い方なのだが、私はお金のためにこの仕事をしているわけではないので、
お客さんが来ないから店を開けないということにはならないのだ。
これを言うと、「じゃあなんのために」と、まるで怒られるように聞かれるわけなのだが、それにはいま一つうまく返事はできない。
まぁ今は古本屋だから古本屋をやっていて、潰れれば他の何屋かになるのではないかと思う。ごにょごにょ。
おまけに、この店の店主は私で、駅ビルでもなんでもないので自粛しろと言ってくる周りもない。
まぁ家賃も払ってるし、なんか市場も休みになっちゃったし、店でも開けないと示しがつかないというか。なんというか。
誰に示すわけでもないのだけれど、いつもと同じ場所に座って、本を拭いている。

そして、こういう事態が起こるといつも思うことがある。
阪神大震災の時も、東日本大震災の時もそうだったので、これは私の性質から来る思いなのだろう。
「たかだか天変地異ごときが、人間の営みを妨げてよいものではない」
ウィルスなんぞが、平凡な人の営みを傷つけてよいわけがない。
私は人間なんて全く好きではないけれど、私は怒っている。