世界の王

4月25日である。25日といえば、いろんな人たちにとって、いろんな意味を持っている日でもある。私にとっては、大家さんの口座に家賃を振り込む日である。
三菱UFJの銀行からお金をおろして、昭和信金の口座に振り込むのだが、お金をおろした際にチクリと胸が痛んだ(物理的な意味でなく心理的な意味での表現だ)。個人的には来月いっぱいまでは休業覚悟なのだが、覚悟はしていても心のささくれはなくならないらしい。

私はインターネットがあまり好きではないので、いつも銀行のATMまで出向いて振り込みをしている。下北沢の昭和信金のATMに並んで、自分の順番が来たまさにその時に、こういう時こそネットバンキングで済ませるべきなのではないか、と気がついた。ただ、急に使えるサービスでもないし、きっと来月もここにやってくるような気がする。
店に寄ると、中西さんが休業の貼り紙をきちんと直してくれていた。この前来た時は、風に飛ばされてしまったのか、止めておいたマグネットとごといなくなってしまっていたのだ。よそさまに迷惑をかけていないとよいのだが。シャッターを開けて中に入る。久しぶりに入った店内は、当然休業した時と変わることなく、静かに再開を待っている様子だった。感じのよい棚だから、いつか必ず再開してあげたい。しばらく待ってくれな、と思う。

帰り道は、散歩がてら渋谷まで歩いた。平日も週末もなくなってしまったので、曜日の感覚がなくなってきている。
道を歩きながら、「自粛」は大きな象みたいだなと思った。それはまあ、トゥリアサウルスという表現でもよい。トゥリアサウルスは体長30メートル程とされている恐竜で、体重は50トンほどと推定されている。本当はもっと大きい方がよいので、ダイダラボッチと行きたいのだが、まぁいいか。
私たちは、そのまわりでこそこそと、息をひそめながら、時には開き直って大胆に、動き回っている相対的に小動物だ。コロナウィルスはその大きいやつが巻き上げた埃みたいなもので、その埃によって病気になったり、時には殺されたりする。確かに、その「埃」は人間にとって悪だ。とても悪い。ただ「埃」に向かって「大したことない」と虚勢を張ってみたり、怒鳴り散らしてみても、あまり意味はないのではないかと思う。この場合必要なのは、対処と身の振り方なのだと思うのだが。
つまり私は、その埃の向こう側に「もっとでかい何か」を見ているということになる。
今や世界の王は「不安」となったのだ。