令和の古本屋(に)日曜日のるらら

金、土、日と、店を再開して三日目。やはり、20時に店を閉めて家に帰ると疲労を感じてバタリと寝てしまう。まぁ、まるまる一か月半家にいて何もしていなかったわけだから、仕事量ゼロと比べれば当然の話で、なにが「やはり」なのかと思わないでもない。しかし、つくづく思うのだが、仕事って体に悪くないか。やらないにこしたことは無いような気がするのだが。

そんな店主の気持ちはもちろん知らないだろうけれど、金曜日と土曜日はほどほどに。そして、今日日曜日はたくさんのお客さんに来店いただけた。多いと言っても、もちろん「うちの店にとっては」という但し書きは付くわけだが、それでも「まぁ誰も来ないんだろうなぁ」という心配は、とりあえずは杞憂に終わったわけだ。本当に感謝しかない。
いつもいらっしゃっていただける方は、この三日間で大体お見掛けしたような気がする。何人かまだ言葉を交わしていない方がいて、それは少し心配ではあるものの、平日になれば人混みを避けてひょっこりと顔を出していただけるものと思う。
そして、もちろんいつもと違う顔ぶれの方もたくさんいらっしゃった。また機会があれば、立ち寄ってもらえれば幸いだ。

そんな風にご来店いただいて、とても申し訳ない気持ちになったことがあって。
うちの店は、入り口前のたたきにワゴンを出して、そこに均一の本を出しているのだが、そこの本が緊急事態宣言の時のままだった。均一というのは、私の考えるところでは、古本屋の足腰といってもよい部分で、とにかくよく使わなければ、結局のところ全体が衰えていくものと考えている。もちろんこれは私の思い込みなのだが、まぁ店の一番最初に目に入る顔でもあるし、ここに好みのものがあればお客さんは嬉しいに決まっているし、お客さんが嬉しければ私も嬉しいのだから、ここはちゃんと準備をするべきなのだ。が、まぁ市場も開催されていなかったし、仕入もできなかったという言い訳はあるし、申し訳程度には本を入れたのだが、荒れた棚を見て残念な思いをさせてしまったとすれば、謝るほかない。ごめんね。
それでもなんとか本を見つけて買っていただいたお客さんもいて、そういう時にはなんというか、頭が下がる思いだ。本を好きでいてくれて、ありがとうと、腹の底から思う。
仕事は体に悪いと思うのだが、こういうことがあると、明日からもがんばろうかな、という気になって、これを書いている。起きたら忘れているかもしれないけれど、嬉しい気持ちは残っているだろうから、今日はよく眠れるんじゃないだろうか。