最近は、「チリ交列伝」(伊藤昭久 ちくま文庫)、「古本屋おやじ」(中山信如 ちくま文庫)と読み進めていた。理由は単純で、ちくま文庫の「山」を買ってその中に入っていたもので読もうと思ったものを適当につまんだからだ。
(「山」とは古本屋用語で、とにかくたくさんの「本口」が集まった品物だと考えていただければ。「本口」は、20冊から30冊の本を紐で縛ったものを「一本」と呼び、それを積み上げたもの。5本あれば5本口と呼ぶ)
二冊とも古本屋本なのだが、「チリ交列伝」がなぜ古本屋本となるかは説明がいるかもしれない。「チリ交」は「チリ紙交換」の略で、チリ紙交換と古本屋は縁が深い。理由はぼんやりと想像がつくことと思うが、まぁ新聞やダンボールも紙なら、本や雑誌も紙というわけだ。そう言われても分からないようなら、周りの物知りな人に聞いてみよう。
著者の伊藤さんはかつてチリ紙交換の元締めをやっていて、後に出版もやったりしたようだが、最後には古本屋専業となった方だ。背の高いいかり肩で、「かわいい」と「おっかない」のどちらかと言えば、どう見ても「おっかない」寄りの人だった。なぜそんなことを知っているのかと言えば、一緒に五反田や渋谷で即売会をやっていたことがあるからだ。「チリ交出身」という出自もあって、武勇伝のたぐいも聞く人ではあったが、私は特に怖い思いをしたこともなかった。私と顔を合わせるたびに「明日さん、明日さんには明日はあるのかい」と嬉しそうに話しかけてくるのが、なんだかかわいかったという記憶がある。伊藤さんが亡くなってから大分たつ。店の品物の片付けを手伝った記憶があるのだが、あれは何年前のことだったか。

「自分のお金を出して買った本を、自分で読むことが出来るのは古本屋の役得なのだが」と書き出したのだが、そんなの当たり前なことに気が付いた。頭にきた。
おまけに、古本屋が古本屋の本を読むのは、あまりにばかばかしいのではないかといういことに思いいたって、発狂しそうだ。面白くなくはない。いや、面白いのだろう。文庫になるくらいだし。ただ得るものはない。なかった。
とりあえず、後見返に鉛筆で「100」と書いて店頭のワゴンに出した。これは復讐ではない、適価だ。伊藤さん中山さんごめん。売れなかったら、そのなんだ。もっとごめん。

二冊は片付いたので、続いて「出版業界最底辺日記」(塩山芳明 ちくま文庫)を読み始める。副題は「エロ漫画編集者『嫌われ者の記』」。編集者のまえがきに、これを書いた人は「エロ漫画下請け編集者」であるとあって、エロ漫画雑誌にも下請けというのがあることを始めて知る。
読み始めると、漫画とは随分と長い付き合いなはずなのだが、出てくる作家さんの名前が全くわからない。「あだちケン」「真弓大介」「くらむぼん」「阿宮美亜」…… いやぁ、すいません不勉強です。時代は「宮崎勤事件」後。いわゆる「エロ漫画」が、「有害図書指定」によって本屋の隅に追いやられ、コンビニから追放され、という時期。そんなタイミングの「エロ漫画下請編集者」の日記という体裁なのだが、なんともまぁ大変に面白い。登場人物は全く分からないのだが、文章の全てが生き生きとしていて、間違いなく書かれた時代を照らしている感じがする。こういうのが読みたかったんだよなぁと思う。いつだって、こういうのが読みたいのだ。先が楽しみだ。

田中小実昌の『コミマサ・シネマ・ツアー』を読んでいて、本質的にこの人の方が、色川武大より上だなと直感。

という一文が出てきて、思わず「ほう」と声が出る。

1990年11月×日
コラムを連載予定の現役女子高生、菜摘ひかる女史が下描きを持って来社。

菜摘ひかる! 女子高生! 「自らの人生を赤裸々に語る女流」というジャンルがあるかどうかはともかく、そういう感じのものにあまり興味が持てないでいたのだが、なぜか菜摘ひかる卯月妙子が好きだったことを思い出した。

何とあの恐怖の都条例が~にきちまったのだと。単行本が指定されたのは前代未聞。しかも、3か月も前に出た物だ。雑誌同様の基準だとすれば、単行本も“18歳未満の方々には販売出来ません”という、腰巻きを付けねばならなくなるが……。

これを読むと、エロ漫画には「都の条例」による規制があったこと、雑誌には「18歳未満販売禁止」の腰巻が巻いてあったこと、になる。テキストは1991年のもの。およそ30年前のことなのだが、高校生の自分。全く記憶にない。

渋谷駅、山手線を降りたところに「5Gってドラえもん?」というソフトバンクのポスターが張ってあった。「違うんじゃないかな」と思う。