流行4

 

昨日は会館の即売会の店番をしていた。古書会館で行う即売会は、複数の古本屋が本を持ち寄って棚に並べるやり方が一般的で、昨日もそうだった。

「個性的な本」など存在が矛盾だが、「本の集め方」には確かに個性があって、私はそういう部分は気に入っている。

 

「五反田アートブックバザール」という名前の即売会なのだが、「アート」というのは枕詞みたいなもので、「たらちねなら、母」程度のことである。いつものように古い本が並んでいる。ただ、名前に引っ張られて、普段即売会では見かけないような写真集や雑誌なども置いてある。

 

なんなら、和紙や人形やガラス製の食器も置いてあって、「ここへ来てアートブックはついに『本』を超越した」と一人で笑っていた。しかし、紐を引っ張るとしゃべる人形が2400円で売れていて、笑いを越えて感心の域に達する。こうなれば、あの9800円のパズル人形も売れかねない。

 

会場を見渡せば、全て過去である。そのはず、古本屋の顔と体は常に過去の方に向いていて、時間の流れに襟首をつかまれて、無理やり歩かされている。

決して先端など歩かないし、歩けない。せいぜいチラリと横目で流行を見て、「あの葡萄はすっぱい」と断じるのみだ。

 

古本屋の未来を作るのは出版だが、古本屋は出版を助けない。助けられない。古本屋はただ「持つ」、のみである。ただ本を持って待つ。待ち人を待つように、買ってくれる人を待つ。片手に持つ本が売れれば、次の本を持って待つ。森の木が、土と水を抱え込むようにして。