つまり私は夢など見ない

先日、夢の話になった。
私が、「夜見る夢」と「将来の夢」をなぜ同じ「夢」と呼ぶのか意味が分からない。と、例によってごねていたのだった。
将来に関する願望を「夢」と呼ぶことで、夜眠りの中で見る夢が不当に貶められているという主張だ。

これは、本当にそう思っていて、この二つは性質から何から全く違うものだし、一緒にすることによってそれぞれが引っ張られて、微妙な意味すら生じてしまっているように思う。優劣はともかく、断固として分けるべきだと思う。じゃあなんて呼べばいいかって? 知るか、そんなこと。

私は将来に関する希望もないし、確かに外から見ればファンタスティックだが、実際にはとても現実的な職業で生計を立てている。そして、私にとって眠りとは、眼をつむったら次の瞬間パチリと目が覚めるものだ。眠っている間に夢は見ているのだろうが、もう何年も思い出せるものはない。

だから、もちろん初夢も見ていない。富士山頂に鷹が舞うと、嘘をついてもいいのだけれど、まぁそれをしてもね。
つまり私は夢など見ない。現実的にも、夜の眠りの中でも。
でもどちらが好きかと言えば、夜眠りの中で見る夢の方がずっと好きだ。
たとえそれが悪夢であっても。