會津八一の「学規」

まず、画像を見てもらいたい。日本語で書かれているので、ちょっとだけで良いからまず「読んでみよう」としてもらいたい。かなり読めると思うし、内容も分かりやすい。嫌なことも、書いていない。

まぁ、これが會津八一の「学規」である。先日、「早稲田専用じゃん」みたいなことを書いて、失礼だったなと思ったので罪滅ぼしに紹介する。
八一が、新潟から上京してきた3人の受験生を預かった際、この四則を作り、机を並べた部屋の床の間の壁に貼ったのが初めだそうな。

読むのも面倒くさくなっているだろう頃合いなので、書き起こす。
「一、ふかくこの生を愛すべし
一、かえりみて己を知るべし
一、学芸を以て(もって)性を養うべし
一、日々新面目あるべし
秋艸道人」
と、書いてある。

私は「和歌」の素養がない。素養がないとどういうことが起こるのかと言うと、今度は古い言葉が分からない。古い言葉が分からないとどうなるかと言うと、古い文字・文章が読めない。ひいては、書道が分からない。となると、芸術としての「書」も当然分からない。

こういったことは、一つの根で全部つながっていて、もうほとんどの日本人が「古いものを読めなくなっている」のだけれど、まぁその話はいい。なぜこんなことを書いたのかと言えば、會津八一という人はまずそういう世界の人で、私には八一の良さはほとんど理解できないということを書いておきたかった。

その結果、私は八一のことをローカルヒーローと侮っていたわけだ。ただ、実はこの「学規」だけは昔から私は好きだったのだ。5万円くらいなら買いたいくらいだった。この四つの言葉には、誰にでも分かる明快な良さがあって、思わず口に出したくなる。

最近でも、世田谷文学館の一階で、「ふかくこの生を愛すべし」の部分だけ呪文のようにぶつぶつと唱えていた。この部分をすぐ忘れてしまうので。
ただ、本当にしみじみ良くできているなと、いつも思う。起承転結的な構成といい、まず「ふかくこの生を愛すべし」と入る大仰さも教育者っぽい。

四項目、本当に「ごもっとも」で一部の隙もなく同意できる、磨き上げられたような言葉だ。そして、この「学規」は、そもそも「教育」や「学芸」というものを「重要だ」と捉えない人間にとって、まるで意味をなしていないもので、そういう点をとっても私には好ましい。

本人のお顔を拝見すると、まるで岩のような顔をした恐ろしげな人である。
私なんぞは何をやっても怒られそうだが、そんな人が「ふかくこの生を愛すべし」などとしかめつらで言っているのは、なかなか楽しげだし、「日々新面目あるべし」なんて、うまいタイミングで自分の口で言ってみたいではないか。

箴言」だの、「アフォリズム」だのといった言葉ももう通用しなくなったんだろう。今、求められているのはイチローの名言だったり、羽生善治の名言だったりするんだろうな、と思う。まぁ、それでもいいんだけれど、私は「ふかくこの生を愛すべし」のところを一生懸命覚える方が好きなんだよな。

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