「私」の仕事2

活字情報の集合体としての「本」がある。一方で、「モノ」としての価値を持つ「本」があるという話をした。
例えば、夢野久作の「氷の涯」の初版本は20万円だそうだ。読むだけならば、記憶している中では教養文庫に入っていはずだ。Amazonで取り寄せれば、500円で収まるのではないかと思う。

本が持つ「情報」という側面だけ見れば、その199500円の差は理解できないはずだ。kindleを買って、「ワンピース」と「進撃の巨人」を全部ダウンロードして、やっぱり画面が小さいなということでipadを買って、wifiの環境を整えなおして、それから文庫本を取り寄せてもまだお金は余るはずだ。

「それでもそれが欲しい」という需要によって、「モノ」としての本の価格は成立している(もちろん成立しない場合もある)。いわゆる「初出本」はその本が登場した一番最初の姿で、そこに価値を見出す意義は私には理解できる。そこに「帯」の姿があったとすれば、それが無ければ完本とは呼べまい。

「モノ」としての本というのは、「発売された直後の状況に近ければ近いほどよい」というのを原則としている。初版である、とか帯がある、とか、蔵書印・蔵書票がない、とか、そういう言葉はその原則から来ている。
発売されたばかりの本はキレイだから、もちろんキレイな方がいい。

署名や肉筆についてはまた別の話があるので触れないが、「作者の署名があれば良い」というものではなく、作者本人の署名であっても喜ばない人もいるということは特別書いておく。
「モノとしての本」のありようというのは、「生まれたままの姿に近いか」どうかに尽きる。