「私」の仕事6

「私は本を読まない」、という話からずいぶんと遠回りした。また次の遠回りが始まるかもしれないが、そうでないかもしれない。先を考えながら書いているわけではないからだ。
「モノとしての本」については、ある程度書いた気がする。

私は本を読まないのだが、実は昔から本を読まなかったわけではない。
昔は少し読んだ。どれくらいかと口で言うのは説明しづらいが、家業ではないにも関わらず「将来古本屋になるか」と思うくらい読んだ。まぁ、思っていたよりずっと早くなってしまったのは不幸だったが。

その冊数が何冊か、と聞きたいだろうが残念ながら教えられない。隠しているわけではなく、想像もつかないからだ。難解な哲学書も、今週発売された「少年ジャンプ」も一冊の本には違いない。これを何冊読んだかと問われても、「いろいろ読んだような気がします」としか応えられない。

もしこういうことが知りたい人がいるとすれば、一番一般化しやすいのは「一か月に単行本を何冊読んだか」ということになると思う。
150頁のエッセイ集も、500頁ある専門書も同じ本でしょうかと聞きたくなるが、まぁ聞きたい人の気持ちは分かるから答える。

あくまで私の基準だが、もし「読書家」と呼ばれる人がいるとすれば、その最低水準は「一日一冊以上本を読む」ということになると思う。一年に366冊を越えれば、「読書家」と言えるのではないだろうか。繰り返すが、あくまで私の基準なのでその程度のことと思っていただきたい。

まぁ、「愛書家」でも「読書好き」でもなんでもいいではないかと思う。ただ、時折「私は本が好きで」と言われる方がいると、私としてはまず「本を買うのが好きなんですか? 読むのが好きなんですか?」と聞きたくなる。職業病である。まぁ、両方好きなんだろうと察して黙る。

「私は本を読むんです」と言う方がいれば、「それが『読書家』の水準だったらすごいな」と思う。ただし、世の中に私が思う「読書家」はほとんどいない。世の中に、一日一冊本を読めるまともな大人はいない。大人はみな一様に忙しいからだ。だから、その時も私は黙らざるをえない。

だから、人が本の話をしているところにいる時、私はいつも黙っている。
私はかつて読書家だったから、その頃の話であれば喜んでしたいと思っている。ただ、今はもう読書家ではなく、おまけに商売という余計なものがくっついてしまい、本について口は重くなるばかりだ。

残念ながら古本屋になるメソッドはない。
という話を書こうとして、迂遠になった。そもそも、森羅万象を極めようとした人々の足跡として存在している紙の束を、一緒くたにして「本」の一字で収めようとするから問題が起きる、と書いてけむに巻いておこう。