どことなく楽しそうで

古本屋をはじめる日があるとすれば、
それを閉じる日がいつか来るのだと思う。
ここ数年の間、その日の迎え方みたいなものをゆっくりと考えてきて、自分の足を置く場所も、少しづつそちらの方に動かしている。以前にも書いたのだが、私は古本屋という商売を気に入っていて、その理由は、この仕事が今まさに滅びようとしているからだ。

昨日、ある古本屋さんが閉店すると聞いた。
私は、「あぁ、いいなぁ」と思った。特にコロナウィルスが引き金というわけではなくて、予定に沿った結果だそうである。
「古本屋さんを閉めるのは正しい方向性だ」というのは、常日頃からの私の主張で、「閉店」はそれと一致するもので、おまけに今のところ私が果たせていない正しい選択だから、うらやましい。店員さんのことや、処々をかんがみれば、そう簡単な選択でないことも分かるから、私は素直におつかれさまと思う。わざわざそんなこと言われんでも結構、という感じだろうが。

ただ一つ気になるのは、そこで働いていた方々の去就で、知る限りはそんなに小さい店ではないので、店員さんバイトさんを合わせて何人かいらっしゃると思う。そういう、この古本屋という仕事に関わってくれる人が減ってしまうというのは、なんだかこの日本の少子高齢化とダブって頭をよぎり、また次も古本屋で働いてくれないかな、などと、先ほどまでの話を棚の上に放りなげて思ってしまう。「せめて自分が生きてる間だけ、なんとかなってくれんかな」ということだろうか。恥ずべき。

たまに市場に行くと、私のような者にも後輩がいる。中には、まだどこかの店で働いていて、「将来古本屋になりたい」という「誤った考え」を持っている子たちもいる。そういう話を聞くたびに、「絶対にやめた方がいい。考え直すべきだ」と止めるのだけれど、大体の子はあんまり思い直してくれない。本は読むから楽しいのに、なぜそれを売ったり買ったりしたいのか。アホなんじゃないのか。だから、仕方なく私は「ならば、この業界はこれからそんなに長く続かないから、なるべく長い時間この仕事をするために、一秒でも早く独立しな」とアドバイスをする。
今日も市場に行くと、私の話を聞いたにも関わらず「誤って」古本屋になってしまった子たちがいて、なにやら仕事をしていて、「あーあ」と思った。