古本屋はみんなそう言う

ご先祖さまに顔向けできないほどの暇なのだが、死んでしまえばご先祖さまも暇なような気がするので、お互い様と言えないこともない。いや、やはり「そういうことは死んでからにしろ」と怒られるのだろうか。あまりに暇なので、組合の支部費の集金にかこつけて、揚羽堂さんの事務所を見舞った。
揚羽さんの事務所は、蒲田駅を挟んで反対側にあって、歩けば20分ほどの距離にある。たまに、支部報を届けに行くのだが、行くたびに留守でポストに入れることになる。事務所の前で留守の確認の電話を入れると、揚羽さんは必ず「いつもはいるんですけどね」と言い訳をしてくれるのだが、いつも必ずいないので「そういう風に言うことになってるのかな」と思っている。ただ、今回は半年に一度の集金が必要だったので、ポストだけあっても解決しないタイミングだった。十一時ごろに電話をすると、「二時にならいます」という返事。今日は機嫌がよくて、三時間分だけ嫌だったのかな、と思った。
事務所を訪れると、いつも閉まっているシャッターが半分くらい開いている。「こんにちはー」と声をかけて中に入っていくと、PCの前に座っていた揚羽さんが振り向いて会釈をしてくれた。揚羽さんの事務所は、本当に素敵な感じに出来上がっている場所で、商品なのか、揚羽さんの趣味なのか、見分けのつかないような品物でいっぱいになっている。揚羽堂さんはもちろん私と同じく古本屋なのだが、主戦場はヤフーオークションで、本のみならずソフビ人形等のグッズ等を売り捌いて口に糊している。例えば、ひんまがってくっついてしまったゴム製のタイガーマスクのマスクが、返品になったという理由で放り出してあったりして。返品になった商品など触りたくもない気持ちはよくわかるが、そういったものが、本やレコードなどの積まれている間に、関係ありそうななさそうな感じで存在して、なんとなく全体の調和が「揚羽さんなりに」とれているんだろうな、いやそうでもないのかな、という感じで素敵なのだ。私はここをひそかに「蒲田ベース」と呼んで嬉しがっているのだが、正直なところあんまりお金の匂いはしない。いや、高い商品がGケースに入っているわけではないし、整理されているわけでもない事務所だから、そう見えるだけかもしれないが。

お土産に持って行ったエビスビールを開けて、しばらく雑談した。揚羽さんは本当に持ちネタの豊富な人で、その半生を素敵な声で話せば、どこを切っても外れはないのだけれど、この日は音楽な気分だったらしく、中学高校の音楽体験から、はたまた仙台からの上京、そして「サンハウス」と柴山俊之への愛を話してくれた。私は当時のロック事情に疎いのでただ頷いていた感じなのだが、私はそういう話をしている時にたまに現れる「ジェット」の片鱗が好きで、そういう部分を発見すると思わず嬉しくなってしまう。ちなみに、「ジェット」は揚羽さんのかつてのバンド時代の名前で、「ジェット」はボーカルとして仙台のライブシーンに存在して、「ゼロ戦」という曲で名を知らしめた存在だった、そうな。それが本当かどうか、インターネットの世界ですら調べようがないのだけれど、本人を知る私からすると、「それは本当にそうだったんだろうな」と確信できる。今は大分体重が増えてしまったのだけれど、時折古本屋仕事をしていても、当時の「輝けるジェット」の姿が横目に飛び込んでくることがあるのだ。

ふと気がつくと、四時間ほどたっていた。最後に「ジェット」の「ゼロ戦」の音源を聞いていて、これが本当に良い曲で驚いたのだが、揚羽さんが言うには「この曲はとても良い曲で、当時もバンドの代表曲ですよね、などと人に言われていたのだが、実は大きな問題があって、それがなにかと言うと実はこの曲はパクリなのだ」と聞いて爆笑した。それは何十年たっても確かに大きな問題かもしれない。ただ、スピーカーから鳴っているメロディーと、ジェットの声は素晴らしいので、それはそれで私にとっては十分すぎるほど良いと思った。
帰り際に、CDを三枚借りた。「サンハウス」と早川義夫早川義夫。がさがさと探している揚羽さんに、「何がどこにあるのか分かってるんですか」と尋ねた。揚羽さんは、「うんなんとなくね。大体わかってるよ」と答える。古本屋はみんなそう言うな、と思った。