自撮りはなかなか難しい

ここ数日は、毛布を洗ったり、確定申告をしたり、買ったまま放っておいた絵を飾ったり、毎日遊んでいるゲームの外付けコントローラーを買ったり、店で使おうと思って取り寄せたipadyoutubeを流しっぱなしにしたりと、「日常」の限りを尽くしていた。書いたらまずいことはないかな。大丈夫か。大掃除はほぼ終わって、毎朝掃除機もかけているので、部屋は私史上最高に片付いているし、キレイだし、過ごしやすい。仕事もないし、気候もよい。世界の不安は、私の住むアパートの5階は避けて通り、その代わりに気持ちのよい風が通り抜けている。
Switchのコントローラーをいちいち着脱するのが面倒だったので、その解決のために有楽町のビックカメラに買い物に出かけた。入口では検温を行っていて、手首にあてる体温計ではかって37度3分以上だったかどうかうろ覚えなのだが、ようするに熱があると入場できないという仕組みになっていた。私の体温は36度2分。世界はおそろしいほど正常に機能している。コントローラーはもちろん純正品を買った。隙のない選択に、陰りは一切感じられない。世界が不幸に満ちているのだとすれば、私の生きている世界の清々しさはもはや不公平と言ってよいレベルのような気がするのだが、もちろんそんな感情は表に出さずに黙っている。適切な時間さえあれば、小さな問題はまたたくまに解決する。
今日は、自分をどこかに運ぶ用事もなく、丸一日休みだった。まぁここのところ、二日に一日はそんな調子だから、ありがたがるようなことでもない。散歩もただ歩くだけでは芸がないと思い始めて、今日からついに観光を始めることにした。蒲田 観光、で検索すると、私の家の前を流れる「呑川」を上っていったところに、池上本門寺があることが分かった。往復1時間半というところか。散歩コースとしてはちょうどよい距離だ。関東最古とある五重塔を見たり、明らかに一回り以上大きいスケール感を持つ本堂はなかなか見事だった。せっかくなので、生まれて初めてカメラの自撮りをやってみる。なるほど、自分の顔がかなり大きく入ってしまうので、難しい。「ばえる」写真を撮るのには、かなり技術がいることがすぐに分かった。

私はわりとハードワークするのが好きで、それが続くことにも特に文句はないタイプの人間だった。自営業者だからということももちろんあると思うが、持って育てた性格の問題もあると思う。やんなきゃ終わらないんだからやるべきだし、問題に解決法がありそうなら全部試すべきだと考える。他人と仕事をするならば、「忙しい」は愚か者の言い訳だし、文句を言ったっていいけど終わってからにすれば?、とか真顔で言えてしまう。こういうことと、こういう日々を繰り返していると、だんだん「もしかしたら『仕事』こそが自分なのではなかろうか」と考えることが増えてくる。私が「仕事」をしているんじゃない、仕事が「私」をやっているんだ、みたいな。だから私は時々つぶやいていた。「がんばろう、職業人として」
そろそろ自粛も一ヶ月になろうとしている。この間、私は他のインターネットで本を頑張って売ろうとか、再開に向けて準備をしている本屋を横目に、一切何もしていないに等しい生活を過ごしている。たまに目に入ってくるtwitterなどの同業者の姿を、愚かとも、うらやましいとも、思わず「あー頑張って欲しいなぁ」と他人事で、毎日柔軟体操と散歩、ゲームで遊んで後はバランスの良い食生活を心がけている。そして自分でも驚いているのだが、私はそれで何の心配もなく、大分幸せなのだ。仕事こそ自分、とか一体どこに行ってしまったのだろうか。行けるのだろうか。
そして何より、仕事なんてあってもなくても、結局自分は自分だった。我がことながら、ほんとに嫌なヤツだと思う。