「コロナの夏」を迎えて日本の夜は短くなるのか

東京都の新型コロナウイルス感染者数がとうとう一桁を示す日があって、緊急事態宣言も解除の気配も徐々に近づいてきている。宣言が解除されても、もちろんすぐに半年前の世界に戻ることはないし、果たして時間がたてば戻るのかと言われるとそれは私の手には余る問題なのだけれど、なんにせよ時が来れば、私は私の店を開けなければならなくて、私は私の店の立場と態度を明らかにしなければならない。

私の所属する組合も、市場の再開に向けての動きが本格的になってきている。インターネット上で「どうやったら市場を始めることができるのか」という打ち合わせも始まっているわけだが、前例も雛型もないわけだからなかなか難しい、となっている。「やった方がいいこと」というのが沢山あることは分かっているし、調べればいくらでも出てくるわけだが、その中で「なにをやらなくていいのか」はググっても出てこない。いっそ以前のままで再開する、というのは一つの見識だと私は思うのだが、まぁ沢山の人間が参画する組合ということであれば、それは許されない態度だとも思う。だって、ウイルス恐いし。話す人話す人が、なんとなくぼんやりと違う線引きの中で、あーだこーだ言って意見をすり合わせて、なんとなく不安と不満を含んだ形で市場が再開するのだと思うのだが、それでも再開しないよりは良いと思うから、なんとかそこに漕ぎつきたいと思う。物事は「始める」ことより「終える」ことの方が難しいが、「終える」ことより「再開する」ことの方がさらに難しいということが分かる。

話は戻るが、例えば6月に店を再開するとして、今年の夏の夜は長いのだろうか、短いのだろうかと、考えている。
自粛開始までは、18時を越えて来てくれるお客さんの数がガタリと減っていた。そして、この一ヶ月は夕飯を食べに出かけようとすると、20時にはほとんどの店が閉店する。父親がシルバー人材として働いているスーパーは、売り上げ1.5倍だそうだから、みな家で夕飯を食べているのだろう。その傾向が変わらないとすれば、店の営業時間を前倒しにし、て10時から19時みたいにしようかな、とも思う。なんせ、私は100%外食なので、20時に閉店しているようでは、夕食が食べられなくなってしまう。そういう悲しみは背負いたくない。

古本屋はみんなそう言う

ご先祖さまに顔向けできないほどの暇なのだが、死んでしまえばご先祖さまも暇なような気がするので、お互い様と言えないこともない。いや、やはり「そういうことは死んでからにしろ」と怒られるのだろうか。あまりに暇なので、組合の支部費の集金にかこつけて、揚羽堂さんの事務所を見舞った。
揚羽さんの事務所は、蒲田駅を挟んで反対側にあって、歩けば20分ほどの距離にある。たまに、支部報を届けに行くのだが、行くたびに留守でポストに入れることになる。事務所の前で留守の確認の電話を入れると、揚羽さんは必ず「いつもはいるんですけどね」と言い訳をしてくれるのだが、いつも必ずいないので「そういう風に言うことになってるのかな」と思っている。ただ、今回は半年に一度の集金が必要だったので、ポストだけあっても解決しないタイミングだった。十一時ごろに電話をすると、「二時にならいます」という返事。今日は機嫌がよくて、三時間分だけ嫌だったのかな、と思った。
事務所を訪れると、いつも閉まっているシャッターが半分くらい開いている。「こんにちはー」と声をかけて中に入っていくと、PCの前に座っていた揚羽さんが振り向いて会釈をしてくれた。揚羽さんの事務所は、本当に素敵な感じに出来上がっている場所で、商品なのか、揚羽さんの趣味なのか、見分けのつかないような品物でいっぱいになっている。揚羽堂さんはもちろん私と同じく古本屋なのだが、主戦場はヤフーオークションで、本のみならずソフビ人形等のグッズ等を売り捌いて口に糊している。例えば、ひんまがってくっついてしまったゴム製のタイガーマスクのマスクが、返品になったという理由で放り出してあったりして。返品になった商品など触りたくもない気持ちはよくわかるが、そういったものが、本やレコードなどの積まれている間に、関係ありそうななさそうな感じで存在して、なんとなく全体の調和が「揚羽さんなりに」とれているんだろうな、いやそうでもないのかな、という感じで素敵なのだ。私はここをひそかに「蒲田ベース」と呼んで嬉しがっているのだが、正直なところあんまりお金の匂いはしない。いや、高い商品がGケースに入っているわけではないし、整理されているわけでもない事務所だから、そう見えるだけかもしれないが。

お土産に持って行ったエビスビールを開けて、しばらく雑談した。揚羽さんは本当に持ちネタの豊富な人で、その半生を素敵な声で話せば、どこを切っても外れはないのだけれど、この日は音楽な気分だったらしく、中学高校の音楽体験から、はたまた仙台からの上京、そして「サンハウス」と柴山俊之への愛を話してくれた。私は当時のロック事情に疎いのでただ頷いていた感じなのだが、私はそういう話をしている時にたまに現れる「ジェット」の片鱗が好きで、そういう部分を発見すると思わず嬉しくなってしまう。ちなみに、「ジェット」は揚羽さんのかつてのバンド時代の名前で、「ジェット」はボーカルとして仙台のライブシーンに存在して、「ゼロ戦」という曲で名を知らしめた存在だった、そうな。それが本当かどうか、インターネットの世界ですら調べようがないのだけれど、本人を知る私からすると、「それは本当にそうだったんだろうな」と確信できる。今は大分体重が増えてしまったのだけれど、時折古本屋仕事をしていても、当時の「輝けるジェット」の姿が横目に飛び込んでくることがあるのだ。

ふと気がつくと、四時間ほどたっていた。最後に「ジェット」の「ゼロ戦」の音源を聞いていて、これが本当に良い曲で驚いたのだが、揚羽さんが言うには「この曲はとても良い曲で、当時もバンドの代表曲ですよね、などと人に言われていたのだが、実は大きな問題があって、それがなにかと言うと実はこの曲はパクリなのだ」と聞いて爆笑した。それは何十年たっても確かに大きな問題かもしれない。ただ、スピーカーから鳴っているメロディーと、ジェットの声は素晴らしいので、それはそれで私にとっては十分すぎるほど良いと思った。
帰り際に、CDを三枚借りた。「サンハウス」と早川義夫早川義夫。がさがさと探している揚羽さんに、「何がどこにあるのか分かってるんですか」と尋ねた。揚羽さんは、「うんなんとなくね。大体わかってるよ」と答える。古本屋はみんなそう言うな、と思った。

自撮りはなかなか難しい

ここ数日は、毛布を洗ったり、確定申告をしたり、買ったまま放っておいた絵を飾ったり、毎日遊んでいるゲームの外付けコントローラーを買ったり、店で使おうと思って取り寄せたipadyoutubeを流しっぱなしにしたりと、「日常」の限りを尽くしていた。書いたらまずいことはないかな。大丈夫か。大掃除はほぼ終わって、毎朝掃除機もかけているので、部屋は私史上最高に片付いているし、キレイだし、過ごしやすい。仕事もないし、気候もよい。世界の不安は、私の住むアパートの5階は避けて通り、その代わりに気持ちのよい風が通り抜けている。
Switchのコントローラーをいちいち着脱するのが面倒だったので、その解決のために有楽町のビックカメラに買い物に出かけた。入口では検温を行っていて、手首にあてる体温計ではかって37度3分以上だったかどうかうろ覚えなのだが、ようするに熱があると入場できないという仕組みになっていた。私の体温は36度2分。世界はおそろしいほど正常に機能している。コントローラーはもちろん純正品を買った。隙のない選択に、陰りは一切感じられない。世界が不幸に満ちているのだとすれば、私の生きている世界の清々しさはもはや不公平と言ってよいレベルのような気がするのだが、もちろんそんな感情は表に出さずに黙っている。適切な時間さえあれば、小さな問題はまたたくまに解決する。
今日は、自分をどこかに運ぶ用事もなく、丸一日休みだった。まぁここのところ、二日に一日はそんな調子だから、ありがたがるようなことでもない。散歩もただ歩くだけでは芸がないと思い始めて、今日からついに観光を始めることにした。蒲田 観光、で検索すると、私の家の前を流れる「呑川」を上っていったところに、池上本門寺があることが分かった。往復1時間半というところか。散歩コースとしてはちょうどよい距離だ。関東最古とある五重塔を見たり、明らかに一回り以上大きいスケール感を持つ本堂はなかなか見事だった。せっかくなので、生まれて初めてカメラの自撮りをやってみる。なるほど、自分の顔がかなり大きく入ってしまうので、難しい。「ばえる」写真を撮るのには、かなり技術がいることがすぐに分かった。

私はわりとハードワークするのが好きで、それが続くことにも特に文句はないタイプの人間だった。自営業者だからということももちろんあると思うが、持って育てた性格の問題もあると思う。やんなきゃ終わらないんだからやるべきだし、問題に解決法がありそうなら全部試すべきだと考える。他人と仕事をするならば、「忙しい」は愚か者の言い訳だし、文句を言ったっていいけど終わってからにすれば?、とか真顔で言えてしまう。こういうことと、こういう日々を繰り返していると、だんだん「もしかしたら『仕事』こそが自分なのではなかろうか」と考えることが増えてくる。私が「仕事」をしているんじゃない、仕事が「私」をやっているんだ、みたいな。だから私は時々つぶやいていた。「がんばろう、職業人として」
そろそろ自粛も一ヶ月になろうとしている。この間、私は他のインターネットで本を頑張って売ろうとか、再開に向けて準備をしている本屋を横目に、一切何もしていないに等しい生活を過ごしている。たまに目に入ってくるtwitterなどの同業者の姿を、愚かとも、うらやましいとも、思わず「あー頑張って欲しいなぁ」と他人事で、毎日柔軟体操と散歩、ゲームで遊んで後はバランスの良い食生活を心がけている。そして自分でも驚いているのだが、私はそれで何の心配もなく、大分幸せなのだ。仕事こそ自分、とか一体どこに行ってしまったのだろうか。行けるのだろうか。
そして何より、仕事なんてあってもなくても、結局自分は自分だった。我がことながら、ほんとに嫌なヤツだと思う。

古本屋を再開する時に、僕が考えていること

仮定をしたとして、店の再開方法を考えている。

https://toyokeizai.net/articles/-/347664
(岩田健太郎「手指消毒がコロナに1番効く理由」)

とりあえず、一つの行動基準として採用しようとしているのが上のリンク。「手・指の消毒を重視する」と書いてあるわけだが、明解で説得力があってそうしようと思う。ただその後に続く3ページ以降「日本人うんぬん」は読む価値がない。
お客さん用のアルコール消毒セットを準備しよう。

後は、今や日本の小売帳場のスタンダードとなった、透明シートによる飛沫対策。私は帳場の台がものすごく使いづらくなるのでとにかくあれをやるのが嫌なのだが、中西さんは嫌だけどやるべきだという意見だったので、そうすることにした。私はマスクで充分だと思うのだが、意識は高い方に合わせるべきだ。

お釣りの現金消毒に関しては、上記の基準に照らし合わせてやらなくて良いのではないかと今のところ考えている。必要であれば、お客さんがお釣りを財布にしまった後、手指をアルコール消毒してもらうということで。
後はマメにテーブルを水拭きして、昨日書いたように換気を定期的にするというあたりだろうか。

ついでに、今日ネットサーフィンをやっていて店とは関係なく採用しようと思った動画。
https://www.youtube.com/watch?v=5QXtgrUJnCM
(クルーズ船でも感染者ゼロ「自衛隊感染症予防」手洗い編)
手の洗い方の動画なのだが、自分は「爪の間を洗う」というところが盲点になっていた。「最近手洗いちゃんとやってるなー」と思っていたところだったので、顔から転んだ感じだ。自分は常に間違っているのだ、ということを常に心がけねばならない。

営業再開について、少しだけ考えてみる

なんとなく、6月にはお店を再開できる雰囲気だ。
まぁ、5月一杯なにがあるかなど分からないのであくまでなんとなくなのだが、まぁこの緊急事態もなんとなく決まって、なんとなく延長して、なんとなく終わる風なので、それがふさわしいのかもしれない。流行り病になんとなくが通用するのかどうか、まぁなんとなく期待しよう。

嫌味を書いていても仕方がないので、どう再開しようかなぁ、と最低限のことは考えておかなければならないと思っている。
私が今気にしているのは、「冷房ははたして換気になるのか」ということだ。真夏に冷房なしで、ドア開けっぱなしというのは果たして可能なものなのか。開け放しで冷房をつけるというのが、世間の「普通」となるのか。google先生に尋ねると、
厚生労働省の「こうしましょう」が出てきた。

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000618969.pdf
(「換気の悪い密閉空間」を改善するための換気の方法)

抜き出すと、「毎時2回・各数分間程度、二か所の全開開放」とある。反射的に「数分ってなんぷん?」と思うわけだが、まぁはっきり書けないたぐいの数字なんだろう。ほんと使えないな、とは思わない。

後は、夏場の汗について気になっていたのだが、少し調べた限りでは汗についてはあまり気にしなくてよいようだ。ただ、汗が流れて粘膜を通過してウィルスを含み、それが感染の原因になるケースは考えられるから、やはり三密は避けた方がよいそうだ。それはそうですよねぇ、と思う。
後は釣り銭をどう考えるかだ。お金を消毒する必要が果たしてあるのか無いのか。
気にしているとキリがないのだが、とにかく、なんだかもう、エロいことなんてしてる場合ではない時代になったようだ。

モラトリアム日常

ゴールデンウィークが始まったそうなのだが、私の生活は特に変わることもなく、家の片付けを少しづつしながら、Youtubeを見たり、ゲームをしたりしながら、ストレッチと散歩と食事で出来ている。
古本屋の仕事の方といえば、中西さんから「休業延期の貼り紙をしてきましたー」と報告があり、誰か見て笑ってくんねーかな、と思った。今私が死んだとすると、最後の仕事は店舗休業延期の文面づくりということになる。まだちょっと死ねないなと思う。
一方、組合と市場の方には少し動きがあって、政府の緊急事態延長をもって、休館の延長が決まりそうだ。ようするに、市場はやらないということなのだが、そのことで何か私に影響があるのかというと、特にはない。ただ、昨日今日と大分暑いので、そろそろ夏が始まるんだなぁと思う。
今年の夏は「コロナの夏」として記憶されるのだろうけど、それはその名前だけ覚えていて、大して思い出もない夏という位置づけになるんだろうか。私はそのことをあまり気の毒がることはないと思っている。理由はもちろん、これからずっとそうかもしれないから、だ。ただ散歩するたびに、この状況で何かもう一個でかい災害があると散々だなとは思う。

機関紙と私

私は古本屋の組合に所属しているのだが、「古書月報」という組合の機関紙がある。そこから要請があったので原稿を書いた。頼まれていたのは結構前だったのだが、締め切りを一ヶ月勘違いしていて、たまたまあった電話に「あれの締め切りいつだっけ」「昨日だよ」という月並みなやり取りがあって、慌てた。

新ネタをおろす時間もなかったので、以前書いた日記を転載してお茶を濁すことに。ただ、全く同じなのは気がひけたので、思いついていたが使い道のなかった小ネタを足した。

 

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私は下北沢で小さな店をやっているのだが、このご時世、ご多聞に漏れず営業自粛と相成った。少しだけ考えたのだが、「よしじゃあネットをがんばろう」とかは一ミリも思わなかった。私はみんながやりそうなことは遠慮する傾向がある。
「営業自粛するフリをして実は店が開いている」という状態にすることについては大分頭をひねった。外に出す均一の台をどこかにしまって、店の扉を全開にして、外向きのショーケースに「閉店中」と大きな貼り紙を出して、普段全然売れない大判の棚を100円均一に変えて「ここの本100円」とか書いておいたらどうだろう。とか。通り抜けオッケーです、クレジット・ペイペイ使えません。日付のある領収書でません。ってやったら、なんとかなるんじゃないか。「閉店中 通り抜けオッケーです」とでっかい貼り紙がしてある店の中で、棚の本を選んでいるお客さんの写真撮って、twitterにあげたらバズるんじゃないか。と、頭の中がバズったところで考えるのをやめて、まぁ普通に休むことにした。

4月11日から14日までの四日間、朝昼晩三食きちんと食べて、一日12時間以上寝るという生活を続けていた。
普通に休むってなんだろう。そして、「健康とはなんぞや」と、自分なりに考えた結果だ。
私は、人間食べ物でできていると考えている。口から入れて、下から出た以外のものが自分になっているわけだから、着ている服以外は私はもうほとんど食べ物だと言っていいだろう。お分かりいただけるだろうか。
その四日の間は、一食が炭水化物だけになるのをなるべく避け、ようするにラーメンとかやめて、なるべくタンパク質と野菜が多くなるように心がけた。そして、ほとんど寝て本を読んでyoutube見る以外の行動はしなかった。当然お酒も飲まない。ぎゅうぎゅうに栄養を詰め込んで、寝ていることで抜くことができるだけの疲労を抜いた。最後にはあまりに寝すぎて腰が痛くなってきたが、最後まで横になりぬいた。
その過酷なんだか、全く過酷ではないのか分からない四日間を終えて、15日からは一日二時間、朝と晩歩くことをスケジュールに入れた。ぎゅうぎゅうに詰め込んだ栄養を、今度は健康に変えようという作戦である。19日からは、これに筋トレを加えようかと思っている。

ここ二十年の間、一週間以上の休みなど天地が逆さまになっても取れなかったのだが、ウィルスが流行ったらまとめて一か月払い戻されてきた。休みはあっても、遊びには行けないし、収入もないし、話し相手もいない。ただ時間だけはあるので、ご飯を食べて歩いている。

遅れてしまってごめんなさい。一番上がタイトルです。校正は不要です。
よろしくお願いします。

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時間もないし、誰も読んでいない「古書月報」の暗いページにこの一文が閉じ込められているのもかわいそうなので、ここにさらして供養とさせてもらう。

しかし、考えれば考えるほど、無人販売はとても無人ではできないことが分かる。