「受け渡しは、神社で」

「それでは、氷川神社というのがありますので、そこにいらっしゃってください」

 

私は古本屋なのだけれど、お店をやっているわけではなく、「事務所」という形態をとっている。(そういう古本屋さんもいる) たまに電話の問い合わせがあれば、「店ではないけれど」と前置きした上で、来店すれば本はお渡しできると伝える。

 

来店くださる方は、二週間に一人くらい。昨日もそういう電話が鳴って、いつものように繰り返そうと思ったのだが、どうも要領を得ない。電話口の先は、かなり年が上のおばあさまのようで、こちらの言うことが通じているのか、通じていないのかも定かではないように感じた。

 

押し問答の末、どうも、そばにあるクリーニング屋さんで電話を借りていることは分かった。びっくりすることに、事務所のそばの番地まで来ているらしい。すごい行動力だ。希望の本が無かったらどうするんだろう。あわてて本を探すとあった。金額はどうでもいいが、200円だ。

 

同じ番地まで来ているのならそばだろうから、「おばあさま」に「辺りに何が見えますか」と尋ねた。そうすると、クリーニング屋で電話を借りているという。なんというクリーニング屋さんですか、と尋ねるとこれは返事があったのだが、良く考えたら私はクリーニング屋の名前など分からない。

 

電話を借りているくらいだから、携帯電話もお持ちでないだろう。そこで、クリーニング屋さんで場所を聞いて、氷川神社までいらっしゃってください。そこで本を持ってお待ちしておりますから。と言って、電話を切った。

 

こうなれば、もはや賭けである。封筒に200円の(しつこいな)本を入れて、神社まで出かけた。商店街にいれば神社までは一直線なので迷うわけがないが、「わけがない」というならば、「こんな無謀」がそもそも起こるわけがない。祈るに近いから、神社はぴったりだった。

 

5分くらい待つと、ひょこひょこという感じで、一人「おばあさま」が向かってくるのが見えた。この人かな、と思って見つめるとこちらに気がついたのか、駆け足になって向かってくる。こちらも慌てて、走って近づいていった。その方がお客様で間違いなかった。

 

「おばあさま」は、「今までずっと探していて、出版社にも在庫がなくて、昨日神保町に出かけていったらここの店にあると言われて、やってきた。本当にありがたい」と何度も頭を下げられた。そして、本当にこの値段でいいのか3度も確認された。もちろんです、と答えた。

 

お互いに何度も「ありがとうございます」を繰り返してから別れる。「おばあさま」を後に急ぎ足で店に帰るのはためらわれて、一本奥の道を選んで帰った。帰り道「そういや2000円って言ってももらえたかな」と思ったのだが、まぁそういうわけにもいかないだろう。

 

いい話風に書いているけれど、これはもうほとんど厄介ごとの世界だ。ダメなことを箇条書きにして突きつけることもできるけれど、済んだことだからいいか。何より、古本屋は「出版社にも在庫がなくて、今までずっと探していました」に目がないのだ。