戦場が、ここではないということ

今日は、久しぶりに下北沢のお店に出かけた。現在、新型コロナウィルス対応で開店は自粛中なのだが、お流れになった3月の即売会の通信販売分をとりまとめる用事があったためである。京王線の定期券が期限切れになっていて、おぉと思った。
どうせなら、ということで、アルバイトの中西さんとは店で「すれ違わないよう」に打ち合わせしてから出かけた。我ながら意識が高い。ウィルス後の新型の生活は、もう既に始まっている。

久しぶりに、渋谷・下北沢の街を通り抜けたのだが、結構人が出ている印象だった。特に渋谷は明らかに閉店している店ばかりなのだが、それでも人が歩いている。私を含めたほとんどの人がマスクをしていて、今やそれがスタンダードになったのだと確認できる。もしこの状態が2年間くらい続いたらドラマとかどうすんだろう。マスクを取ったら超美形、とかやるんだろうか。

毎日、食事に出かける行き帰りの途中に、カウンターのみの7席くらいしかない焼き鳥屋があるのだが、そこは割烹着の店主も後期高齢者なら、客も後期高齢者という感じのお店で、おまけにいつ見ても結構流行っている。特に最近は満席に見えることも多く、みんながビールや酎ハイを飲みながら笑っていて、とても楽しそうだ。通り過ぎるたびについ見てしまう。
こういうところで、感染爆発が起こって、みんなまとめて一発退場になるんだろうなぁ、と思うわけだが、私はその人たちのことをどうしても責める気になれない。
家にいて、テレビを見ていても不安が増すだけだし、そこに行けば少なくともその時間は笑えるわけで、寂しさがまぎれる。これまでの人生とこれからの人生の長さを比べたら、明らかにこれからの人生の方が短くなっていて、家にいてもつらいだけならいっそ出かけてしまおうとなるのはとても自然だし、なんならそうするべきだろうとすら思う。コロナウィルスのことを、その一時間だけ忘れたっていいじゃないか。

もう一方で思う。肺炎はとても苦しいらしい。体験者によれば、焼けた鉄の棒を口からのどの奥まで突っ込まれたような状態が続くそうである。その状態でもがき苦しむ姿を、顔にモザイクを入れてテレビで流し続けて、その老人たちに「お前明日そうなんだよ」と言ったら果たして彼らは焼き鳥屋に出かけるのかなぁと。まぁこれは、雀の如くカウンターに並んで座っている彼らのみならず、今日駅ですれちがった全ての人に言えることで、その中にはもちろん私も含まれている。